第五回 長池講義 開催情報
会   場 長池公園自然館 東京都八王子市(長池公園自然館は会場を提供しているだけなので、講演の内容などについて問い合わせをしても答えられません。ルートの確認なども含め、問い合わせしないようにお願いします。)
長池公園自然館(ネイチャーセンター)への行き方>>
日   時 2009年9月5日土曜日 13:00〜17:00
講   師 柄谷行人、澤口隆志
テ ー マ 協同組合論
定   員 45名
入 場 料 無料
お申し込み 終了しました。

第四回長池講義 柄谷講義要綱
2009/3/28
柄谷行人

第四回長池講義 要綱

 歴史と反復            

 昨年から、100年に一度の経済危機とか、1929年以来の大恐慌だというようなことが盛んにいわれるようになった。おまけに、「資本主義はもう終る」などという声まで聞こえてくる。しかし、そんな危機は古い話だといってきた経済学者やジャーナリストが突然そういい始めるのはおかしい。それまで自分らが言ってきたことの誤謬については一切述べず、まるでこれが誰も予期できなかった自然災害であるかのように。しかし、恐慌やその後に来る不況は、資本主義にとって不可避的なものである。倒産や解雇という乱暴なやり方でしか、資本制生産は自己調整する方法をもたないのだ。だが、だからといって、資本主義が自動的に終るわけではない。資本と国家は何としてでも存続しようとするからだ。

 また、恐慌―不況―恐慌という景気循環にも短期的なものと長期的なものがある。マルクスが『資本論』で考察したのは、約一〇年周期の短期的なもの(ジュグラー波)である。それとは別に、五、六〇年周期の景気循環(コンドラチェフの長期波動)がある。さらに、それよりも長いブローデルの「長期的サイクル」が指摘されている。それに対して、ジョヴァンニ・アリギは、こうした長期波動は、物価の長期的変動の観察にもとづくものだから、近代資本主義以前にもあてはまるものでしかない。それでは、資本の蓄積(自己増殖)のシステムに固有の現象をとらえることができない、と述べている(『長い20世紀』土佐弘之監訳)。

 だが、私の考えでは、長期波動は、世界資本主義における基軸商品が交替する大きな変化に付随するものとして説明できる。現在の恐慌、そして長引く不況は、そのような種類のものである。とはいえ、今回のそれは、一九三〇年代のそれとは違っている。それを見るためには、資本主義経済の反復性だけでなく、国家の反復性を考慮にいれなければならない。

 もちろん、大規模な信用恐慌や不況という点では類似性がある。そんなことは誰でもわかる。しかし、その中身はまるで違うのだ。たとえば、一九二九年の恐慌とその後の不況の時代には、アメリカが世界経済のヘゲモニーを確立する道をたどった。一方、現在は、アメリカの没落がはっきりしたが、それに代わるヘゲモニー国家が存在せず、競合しあうような状態に向かっている。その意味で、これはむしろ大英帝国がヘゲモニー国家として衰退し、ドイツ・アメリカ・ロシア・日本などが競合しはじめた時期、つまり、一八八〇年代に似ている。

 また、現在の不況は一八七三年の恐慌からはじまった慢性不況に似ている。この慢性不況は鉄鋼などの重工業生産が主要な産業となったために生じたといってよい。このことは、他方で、それまで軽工業(繊維工業)を中心にしてヘゲモニーを握った大英帝国の没落を招いた。巨大な資本投下を要する重工業は、国家資本主義的なやりかたでなければやっていけないからだ。しかし、重工業は設備投資の割合が大きいため、一般的利潤率の低下が生じる。また、労働者の雇用が繊維工業ほど多くないために、失業率が増大する。国内で過剰となった資本は海外に向かった。そして、列強が市場と資源を確保しようと争うようになった。それが「帝国主義」と呼ばれている。これが第一次大戦に帰結したのである。

 それに比べて、一九三〇年代の不況は深刻ではあったが、現在と違って、その先に展望があったといえる。というのは、自動車や電気製品など耐久消費財の大量生産・大量消費(フォーディズム)の時代がはじまろうとしていたからである。しかるに、現在、そのような展望はない。むしろその結果としての環境破壊に悩まされているのだから。現在の技術革新は情報技術にあるが、それは通信や運輸という領域における労働時間の短縮によって利潤率を高めようとするものである。しかし、それは設備投資が増大するわりに人手を減らす。その点で、重工業が中心となった時代と似てくる。つまり、利潤率が低下し、労働者の雇用が減り消費が減退する。ここでは、一九三〇年代には有効であった、ケインズ主義的な需要喚起策は機能しない。そもそも、新自由主義あるいはグローバリゼーションは、ケインズ主義的福祉国家ではやっていけなくなったからこそ、はじまったのである。

 さらにいうと、一九三〇年代の不況は、ニューディールによって克服されたとはいえない。ドイツや日本はいうまでもないが、アメリカでも実際には、軍事的ケインズ主義しか機能しなかった。日米戦争の開始によって、はじめてアメリカの景気は回復したのである。このような軍需による経済回復(失業問題の解決)が戦争に帰結するのは避けられない。もし現在が一九三〇年代に似ているというなら、そして、その教訓から学ぶというのなら、そのことを想起したほうがよい。つまり、ニューディールなどは一度もうまくいったためしがないということを。

 私が過去を参照するのは、たんなる類似性からではない。資本と国家がそれぞれもつ反復性を見出すからだ。国家と資本の世界史的段階と反復性を簡単にまとめると、図のようになる。ここで、「帝国主義的」と「自由主義的」ということについて、一言説明を加えておく。これらは通常の意味とは異なっている。先ず、自由主義的とは、ヘゲモニー国家がとる政策の傾向である。ヘゲモニー国家は生産・商業・金融の三つの面で優位に立つ。ウォーラーステインによると、そのようなヘゲモニー国家は、近代の世界経済の中で三つしかなかった。オランダ、イギリス、そして、アメリカ(合衆国)である。また、それらが三つの面すべてにおいて優位に立つ期間は短い。ただ、生産部門でヘゲモニーを失っても、商業や金融の部門では長く維持する。オランダやイギリスもそうであったし、一九九〇年以後のアメリカもそうであった。アメリカの衰退は一九七〇年代にはじまっていたが、金融の部門における優位は揺るがなかった。アメリカが絶頂期にあるかのように錯覚した人が多かったのはそのためであろう。たとえば、ネグリ&ハートは、アメリカが唯一の「世界帝国」となったと主張した。しかし、一九九〇年以後にいよいよ明瞭になったのは、アメリカのヘゲモニーが失われ、多数の帝国(広域国家)が乱立するということであった。

 つぎに、「帝国主義的」とは、ヘゲモニー国家が衰退したが、それにとって代わるものがなく、次期のヘゲモニー国家を目指して、熾烈な競争をする時代である。一九九〇年以後はそのような時代である。いわゆる「新自由主義」は、アメリカがヘゲモニー国家として「自由主義的」であった時代(冷戦時代)が終わって、「帝国主義的」となったときに出てきた経済政策である。「帝国主義」時代のイデオロギーは、弱肉強食の社会ダーウィニズムであったが、「新自由主義」も同様である。事実、勝ち組・負け組、自己責任といった言葉が臆面もなく使われたのだから。しかし、アメリカの没落に応じて、ヨーロッパ共同体をはじめ、中国・インドなど広域国家(帝国)が各地に形成されるにいたった。

 では、アメリカの没落とともにはじまる、この「帝国主義」のあとは、どうなるのか。つまり、どの国がヘゲモニー国家となるのか。ウォーラーステインと同様に、近代世界システムの変遷を、ヘゲモニー国家の交替という観点から見たアリギは、中国がそうだという。アリギの考えでは、ヘゲモニー国家は、ジェノヴァ、オランダ、イギリス、アメリカという順におこった。それぞれ、初期の段階では、「生産拡大」の傾向があり、末期には「金融拡大」の傾向が見られる。アリギはこれを、資本の蓄積システムのサイクルという観点から見る。初期には交易や生産に投資することによって蓄積しようとするために、生産拡大が生じ、末期には、金融だけで蓄積しようとするために、金融拡大が生じる、というのである。

 しかし、基軸商品の交替という観点から見ると、この次に、今までのようなヘゲモニー国家が生まれることはありそうもない。それよりも、資本主義経済そのものが終わってしまう可能性がある。中国やインドの農村人口の比率が日本並みになったら、資本主義は終る。もちろん、自動的に終るのではない。その前に、資本も国家も何としてでも存続しようとするだろう。つまり、世界戦争の危機がある。

 そのように見ると、一九九〇年以後の状況が一八七〇年以後の状況と似ていることがわかる。この類似は、東アジアの文脈で見ると、もっと切実である。たとえば、現在東アジアで進行している事態は、一九三〇年代との比較で考えられてきた。確かに、中国・台湾、韓国・北朝鮮、ロシア、そして日本の間の関係において、戦前の問題が今なお大きな影を与えていることは疑いがない。しかし、それだけを見ていると、現在がいかに戦前と異なるかを見落とすことになる。たとえば、ロシアはソ連ではなく、旧ロシア帝国のようになっている。また、中国は戦前のように帝国主義的侵略にさらされて分裂している状態ではなく、今や政治・経済的に巨大な存在となっている。だが、それは一二〇年前の中国を考えれば、驚くほどのことでもない。

 当時、清朝は世界帝国であった。その周辺国である日本が旧体制を倒して開国したのに対して、朝鮮の李朝は親日的な開国派を弾圧し、清朝を宗主国として鎖国を維持しようとした。それが日本と清朝の対立、すなわち、日清戦争に帰結したのである。日本は近代国家・産業資本主義の体制を確立し、帝国主義的に転換しつつあった。とはいえ、この時期、清朝は巨大であるだけでなく、近代化した軍備をもっていた。ゆえに、日清戦争に際して、日本は清朝を非常に恐れていたのである。日清戦争の後に清朝が日本に譲渡したのが台湾である。現在の東アジアを見ると、日本、中国、台湾、韓国、北朝鮮、ロシアという構造になっているが、それは一二〇年前に形成されたものであり、しかも、それは一九三〇年代には無くなっていたのである。

 昨年来、私は、今後日本はどうすればよいかと、何度も聞かれた。私は「国家と資本」の立場からものを考えることはない。せいぜいいえるのは、日本が日清戦争の時期と同様に、アジアにつくか「脱亜」に向かうかという岐路に再び立つだろう、ということである。過去の日本が「脱亜」を選んで失敗したことはいうまでもない。だからといって、今度は「入亜」だ、というべきではない。私自身は、そのどちらでもあり、どちらでもないようなあり方を志向すべきだと考える。

  1750-1810 1810-1870 1870-1930 1930-1990 1990-
世界資本主義 後期重商主義 自由主義 帝国主義 後期資本主義 新自由主義
ヘゲモニー国家   英国   米国  
傾向 帝国主義的 自由主義的 帝国主義的 自由主義的 帝国主義的
資本 商人資本 産業資本 金融資本 国家独占資本 多国籍資本
世界商品 繊維産業 軽工業 重工業 耐久消費財 情報
国家 絶対主義王権 国民国家 帝国主義 福祉国家 地域主義
図:近代世界システムの歴史的段階


第三回長池講義 柄谷講義要綱
2009/3/28
柄谷行人

第三回長池講義 要綱


 未開社会には、贈与の義務あるいは互酬的な諸制度がある。それは共同体の形成と維持を目的とするものであることはすでに示した。しかし、それが、なぜいかにして共同体の「至上命令」として出てくるのか。この疑問に正面から挑んだのは、フロイトだけである(『トーテムとタブー』(1912年))。私の考えでは、フロイトが考えたのはトーテミズムの起源というよりもむしろ、未開社会における「兄弟同盟」、つまり、「兄弟同盟のすべての構成員に平等の権利を認め、彼らのあいだにおける暴力的な競争への傾向を阻止する掟」がいかにして形成されたのか、ということである。


 フロイトはその原因を息子たちによる「原父殺し」という出来事に見いだそうとした。むろん、これはエディプス・コンプレクスという精神分析の概念を人類史に適用するものである。しかし、彼は当時の学者の主要な意見を参照し、特に、ダーウィン、アトキンス、ロバートソン・スミスらの理論を借用している。それらがどのようなものかを、フロイト自身の言葉で示そう。

 ダーウィンからは、人類が原初、小さな群族を作って生活していて、その群族のそれぞれが比較的年齢の高い男性原人の暴力的支配下にあり、彼はすべての女を独占し、若い男性原人たちを彼の息子たちも含めて鎮圧し、懲罰を加え、あるいは殺害して、排除してしまった、との仮説を借用した。アトキンソンからは、以上のような記述に続くかたちで、この父権制が、父に抗して団結し、父を圧倒し、これを殺害して皆で喰い尽くしてしまった息子たちの謀叛によって終焉に至った、との仮説を借用した。そして、さらに私は、ロバートソン・スミスのトーテム理論に従って、父殺害ののち、父のものであった群族がトーテミズム的兄弟同盟のものになったと考えた。
 勝ち誇った兄弟たちは、実のところ女たちが欲しくて父を打ち殺したのではあるが、互いに平和に生活するために女たちに手を出すのを断念し、族外婚の掟を自分たちに課した。父の権力は打ち砕かれ、家族は母権に沿って組織化された。しかし、父に対する息子たちの両価的な感情の構えは、その後のさらなる発展の全経過に力を及ぼし続けた。父の代わりに特定の動物がトーテムとして据え置かれた。この動物は父祖であり、守護霊であるとされ、傷つけたり殺したりしてはならぬものとされたが、しかし年に一度、男性原人たちの共同体構成員全員が饗宴を開くために集まり、ふだんは崇拝されていたトーテム動物は饗宴のなかでずたずたに引き裂かれ、彼ら全員によって喰い尽くされた。この饗宴への参加を拒むことは、誰であっても許されなかった。これは父殺害の厳粛な反復だったのであり、この反復とともに社会秩序も道徳律も宗教も生まれたのである。(『モーゼという男と一神教』p165、「フロイト全集」22巻、岩波書店)

 
 今日の人類学者はこのような理論を斥けている。古代に「原父」のようなものは存在しない。実際、フロイトがいうような原父はゴリラ社会の雄に似たものというより、むしろ、専制的な王権国家が成立したのちの王や家父長の姿を、氏族社会以前に投射したものだというべきである。だが、そのようにいうことで、フロイトがいう「原父殺し」の意義が消え去ることはない。

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 くりかえすと、フロイトは、氏族社会の「兄弟同盟」システムがなぜいかにして維持されているのかを問うたのである。私の考えでは、それは、氏族社会が国家に転化しないのはなぜかを問うことにほかならない。理由は、国家=専制的な父の生成をたえず阻止するシステムがあるからだ。いいかえれば、氏族社会が「原父殺し」をたえず反復しているからだ。それは、トーテムにかぎらず、さまざまな互酬性の実践において反復されている。国家の生成を妨げるかぎりで、戦争もその一つである。つまり、「原父殺し」は経験的に存在しないにもかかわらず、互酬性によって作られる構造を支えているのである。それは事後的に遡及的に見いだされる原因である。ゆえに、「原父殺し」という考えは、太古にそのような原父はいないからといって斥けられるものではない。


 私の考えでは、独占的・専制的であったのは、原父ではなく、共同体所有そのものである。具体的にいうと、漂泊的小バンドでは、すべての生産物が平等に再分配された。定住ないし準定住の結果、バンドの間で恒常的に交通する事態が生じたとき、そのような共同体所有は部分的に否定されなければならなくなる。共同体所有を断念して他の共同体に贈与するのである。これはフロイトがいう「原父殺し」である。しかし、贈与されたものは、他者に対する「力」をもつ。それが他者の敵意を抑え込む。こうして、贈与の互酬によって、環節的・成層的な共同体が形成されるようになる。フロイトがいう「兄弟同盟」は、そのようなものである。
 氏族社会に存する「平等主義」は強力である。それは富や権力の偏在や格差を許さない。それは強迫的なものである。では、なぜそうなのか。これは、各人の嫉妬などから説明することはできないし、復古主義的な願望から説明することもできない。フロイトは、平等主義のこの強迫性を、「抑圧されたものの回帰」から説明した。つまり、一度抑圧され忘却されたものが回帰してくるとき、それはたんなる想起ではなく、強迫的なものとなるのだ。


 われわれは「抑圧されたものの回帰」の例を、氏族社会よりもむしろ、氏族社会が国家と貨幣経済によって完全に解体され忘却された後に見出すことができる。それは普遍宗教である。いうまでもなく、それについても、フロイトは『モーゼと一神教』で論じている。フロイトの仮説の中で重要なのは、モーゼに率いられてエジプトを脱出し砂漠を放浪した人々が緑豊かなカナンに入る手前で、モーゼを殺したというものである。モーゼが砂漠にとどまることを命じたからだ。だが、殺されたモーゼは、カナンの文明の発展の中で、預言者を通して「モーゼの神」として戻ってくる、とフロイトは考えた。いうまでもなく、これは『トーテムとタブー』で書かれた「原父殺し」の再現である。しかし、実際には、フロイトは、むしろ普遍宗教の問題から、原始時代の「原父殺し」に遡行したのである。


 フロイトがいうことは、ユダヤ教やキリスト教に限定されるものではない。普遍宗教はそれぞれ各地の世界帝国の下で、「抑圧されたものの回帰」として出現したのである。


 交換様式という観点からいえば、普遍宗教は交換様式BとCが支配的である世界帝国の下で、それによって抑圧された交換様式Aが高次の次元で回帰したもの、すなわち、交換様式Dである。それは現実には存在しないものである。とはいえ、人々の恣意的な願望や空想として出てくるのではない。その逆に、人を強いる「力」、倫理的な至上命令として出てくるのだ。

第四回長池講義 苅部講義レジュメ
2009/3/28
苅部 直(かるべ・ただし)

「開国」と結社――丸山眞男から吉野作造へ

(I) 「鎖国」と「開国」

 丸山眞男「開国」(1959年1月、『講座現代倫理11:転換期の倫理思想(日本)』
          筑摩書房。『忠誠と反逆』ちくま学芸文庫に再録)
   唐木順三「鎖国」、和辻哲郎『鎖国』(1950)との呼応
   「閉じた社会」から「開いた社会」へ / 「国際社会」への強制的編入
   三度のチャンス=戦国時代・幕末維新・「敗戦」後
    →現代的な問題と意味とを自由にくみとる
   視圏の拡大、閉じた思考の打破→他者と己れ、抽象的な社会への帰属
   民間メディアの発達、「道理」が一般的抽象的理性に、自由討議・自主的集団
    but、ナショナルな「集団転向」への傾き、政治団体がモデルになってしまう

 「近代日本の思想と文学」(1959年8月、『岩波講座 日本文学史』15巻。
                『日本の思想』岩波新書に再録)
   cf. 宮村治雄『丸山眞男『日本の思想』精読』(岩波現代文庫)
   「開かれた」科学観ー他者意識・市民意識との連関
   モデレートな懐疑精神(二葉亭・漱石・鴎外)
   既知の法則の例外現象→構想力、仮説、trial and error、他者との経験の積み重ね
     ↓
   「『である』ことと『する』こと」(1959年1月発表、『日本の思想』に再録)
     制度の自己目的化を問う、プロセスとしての民主主義
     自発的な集団形成、会議と討論

 1962年4月、米国アジア学会報告
 →「個人析出のさまざまなパターンーー近代日本をケースとして」(1965年英文発表)
    自立化・民主化・私化・原子化

 1991年11月「秋陽会記」(『丸山眞男話文集』第4巻、みすず書房)
  湾岸戦争、「国連強化」論批判
  “主権国家の寄せ集めであるかぎり、国連は永久にダメなんですよ。”
  主権概念との訣別、初期ハロルド・ラスキの「多元的国家論」(political prulalism)
  「多元的な世界構成の秩序単位」:EC・国家・アムネスティ・宗教団体・大学・
                 実業団体 →国連改革へ
  憲法第9条の先駆的意味

<国内秩序ー国際秩序の枠を超えた、重層化・多元化の運動としてのデモクラシーへ>
(II) 吉野作造とフリーメイソンリー
                     *『思想』2009年4月号掲載論文
 丸山「開国」論の一源流としての、吉野作造:朱子学の「理」と国際法・自然法概念
  「我が国近代史における政治意識の発生」(1927)
   「公道」観念(国際法受容)+議会主義の発展+天賦人権論→国民の政治的自覚
   儒学の「道」と結びつけ、国際法を形而上学的実体と誤解
    →but、人々が「新理想」を知り、視野を普遍性へ開いていく結果に
  『露国帰還の漂流民幸太夫』(文化生活研究会、1924)
   「排外思想」「維新前後の国際協調主義者」
 1921年夏、「日本開国史の研究を思い立ち資料の蒐集に着手す」(翌年1月の日記)

 同時代のユダヤ・フリーメイソンリー陰謀説に対する批判
  「マツソン秘密結社なるものについて」(『中央公論』1920.1)
 「所謂世界的秘密結社の正体」(『中央公論』1921.6)
  「賢者ナータン」「フリー・メーソンリーの話(全4回)」(『文化生活』1921〜22)

 ロシア革命・内戦→『シオン賢者の議定書』の世界的普及
  シベリア出兵、パンフ『過激思想の由来』、四王天延孝、酒井勝軍、樋口艶之助
  立憲主義・デモクラシー・平和主義への警戒

 吉野とフリーメイソンリーの出会い(1911年、ハイデルベルク)
  「自由平等並びに四海同胞の人道主義の基礎の上に立つて個人的道徳修養を専らとす
   る団体」「完全なる人類和親を主張するもの」
  「僕自身にした所が縁故が無いから入らないものの、出来るなら是非之に入りたいと
   考へて居る位だ」
  菅村道太郎『フリー・メーソンリーの研究(政治研究・第2冊)』(1920)

  *フリーメイソンリーと近代市民社会
    ラインハルト・コゼレック『批判と危機』(原著1959年、未来社)
    シュテファン=ルートヴィヒ・ホフマン『市民結社と民主主義』
     (Geselligkeit und Demokratie、原著2003年、岩波書店)

 20世紀初頭の早期グローバリゼーション:交通・通信の発達、都市化、大衆文化
  第一次世界大戦・国際連盟・国際共産主義
 →吉野作造の秩序観の変化:「国家精神」から、国家権力の相対化、多元主義への接近
   「国家生活の一新」「政治学の革新」(『中央公論』1920. 1. )
   「アナーキズムに対する新解釈」(1920)
   「現代通有の誤れる国家観を正す」(1921)

<個人・国家・国際社会の三層分立の相対化、グローバルな空間での結社の交錯へ>



第四回長池講義 高澤講義レジュメ
2009/3/28
高澤秀次

日本芸能史(2)『太平記』の時代

★北条政権末期、後醍醐天皇の治世から、足利尊氏の死を挟み、足利義満が政務を嗣ぎ(細川頼之が管領に就任)戦乱の時代がいったん終息するまでの50年間(応仁の乱以前)
中世の真ん中に位置するこの南北朝時代は、「日本の歴史を二分し、古代と近世の境目ともなる変革期であった」(林屋辰三郎『内乱のなかの貴族』)
『太平記』の時代に重なる南北朝時代はまた、東国武士団の西国進出を契機に、日本史上空前の東西交通(戦乱を通じた)が活発化した時代であり、「日本史上最初のイデオロギー時代」(司馬遼太郎)でもあった。

後醍醐の「親政」と南朝のイデオローグ北畠親房に与えた「宋学」の影響
「宋代の学問世界は、訓古をすてきったわけではないにせよ、中国の思想史上、最初に出現する観念論哲学の流行期である。朱子学の成立にいたってそれが大きく完成し、やがて宋が北方の異民族国家である金に圧迫される(南宋への版図縮小)におよんでこれがイデオロギーになってゆく」(司馬「太平記とその影響」)……尊皇攘夷論の理論モデル
それが北朝に対し劣勢に立たされた南朝の正統論の根拠となる。
南北両朝のイデオロギー対立:「当時は宋学が輸入されて大覚寺統の人々の関心を惹き、尊治親王(後醍醐天皇)などもその中心にあったが、自明院統では花園天皇も含めて経書を古注をもって解釈されたので、理性の学(理学)ともいわれた宋学とは相容れないところがあった」(林屋辰三郎『内乱のなかの貴族』)
cf.この花園天皇は後醍醐に譲位を迫られた天皇で、「北朝思想」の結晶ともいうべき「誡太子書」(「太子を誡める書」、山本七平はこの書を北畠親房の『神皇正統記』に対して、北朝の「正統記」と呼ぶ)を著している。これは花園院が後醍醐の皇太子・量仁親王(北朝第一代・光厳天皇)に自重を促した書で、朝廷が武力で政権を保持するような後醍醐的「親政」を暗に批判、宋学に対して「詩書礼楽」「経書の精神」による去私の治世を諭す。
山本七平は、足利尊氏が擁立したこの光厳天皇を北朝すなわち「後期天皇制」の祖とする。

語り物としての『太平記』
『平家物語』から『太平記』へ……特定の英雄像を描く『平家物語』と、「群像形成の語り物」(角川源義)としての『太平記』
盲目の語りから、「目明き」の語りへの過渡期(柳田國男)
兵藤裕己「婆紗羅と悪党―小島法師をめぐって」(「國文學」第36巻2号)
随所にある本文への注記:「引き」「乱」(対句仕立ての拍節的旋律)「二重」(音域の高低を指示した詠唱的な旋律)「三重」「四重」などの曲節、注記なしの部分が地語り
「談義」(半僧半俗のヒジリの行う話芸・語り芸)/物語の席で「読」まれた『太平記』
「物語僧」(禅宗寺に寄宿した遍歴の禅僧)の太平記講釈(ヨミ)
「髪をそらずして烏帽子をき、座禅の床を忘れて南北のちまたに佐々良すり……東西の路に狂言す」(『天狗草子』)
『太平記』の複数の作者の一人「小島法師」も、「凡そ卑賤の器たりといへども、名匠の聞こえあり」と言われた物語僧

太平記の楠木正成像……「下層の宗教民・芸能民の伝承的関与をうかがわせる」
正成合戦を談義/物語する一群の徒が存在した。  cf.司馬遼太郎「太平記とその影響」
正成の兵法伝承……いわゆる忍法・忍術が修験山伏の特異な修行形態から派生したことは周知、戦国末期に活躍した甲賀衆・伊賀者はともに正成の血脈を主張。彼らの出自が下層の宗教民、毛坊主の類いにあったとすれば(鈴鹿山地一帯を縄張りとした山伏・山立の一類か)、その伝承する兵法が「下賤の職」と卑賤視されたのも当然

太平記を講義/物語する異形の「あぶれ者」たちが、自らの境遇を楠氏や名和氏・児島氏の末路にかさね合わせた。そうした数多くの有名・無名の語り手たちの一人に、老残の高徳入道=児島高徳(南朝方の備前の武将)をカタル法師形の「卑賤の器」も存在しただろう。語り手と語られる作中人物とがだぶってくるのは、日本の語り芸の伝統。幕府体制への執拗な反抗を企てる児島高徳(あるいは楠・名和の一族)と、それを仕方・声色をまじえてカタル者たちとは、語り(騙り)芸の世界を媒介にして系譜的、系図的にも繋がる。

参照:兵藤『太平記〈よみ〉の可能性―歴史という物語』(講談社選書メチエ)
   新田一郎『太平記の時代』(日本の歴史11,講談社)
   『中村直勝著作集第三巻――南北朝の研究』(淡交社)
   森茂暁『南朝全史―大覚寺統から後南朝へ』(講談社選書メチエ)
   山本七平『日本の歴史(上・下)』(B選書、ビジネス社)

★天皇制の分岐点:北条高時が後醍醐に対抗して担いだ光厳天皇(北朝第一代)、足利尊氏が擁立したその弟・光明天皇(北朝第二代)は武家(政権)のための天皇、古代的な王権(後醍醐はその復興企てる)とは断絶。北朝=「後期天皇制」cf.新井白石『読史余論』

南朝の吉野への逃走(後南朝の延命)と「悪党」の活躍
海津一朗『神風と悪党の世紀』(講談社現代新書)によると、南北朝時代の特徴として、蒙古襲来を機に「神国観念」の高まりを見せるなか、地域民衆の既得権が著しく侵害され、「悪党」の語に象徴されるような民衆への差別と統制強まる。南朝のシンボル後醍醐を支えた河内の土豪・楠正成はそうした「悪党」の典型。『太平記』のような物語のヒーローにはなり得ても、『神皇正統記』のような南朝正統論の「正史」では無視。
楠ら「悪党」は、幕府からは冷遇されていたものの、支配階級に属した土豪で、鎌倉末期からは寺社に敵対する「国土の怨敵」といった意味から、国家に反逆する倒幕勢力そのものを表すまでになった。    cf.中上健次の野外劇『かなかぬち』楠正成=韓鍛冶

林屋辰三郎は、当時の「悪党蜂起」について、徴税力を失った荘園領主にかわって年貢徴収を請け負った地頭領主(在庁官人)の搾取に対し、農民の側から年貢を自主的に請け負う地下請けが台頭、こうした農民の団結、搾取に対する抵抗が、地頭や幕府にとって「悪党」的振る舞いとみなされるようになったとする。
「彼らは公家政権の再現を期待したのではなく、むしろ公家も武家も否定した真に彼らのための彼らによる政権を希望したであろう。しかしそれがもとよりかなえられぬ性質のものであってみれば、公家側の反幕府戦線のなかで行動するようになってくるであろう」(『南北朝』)
「南北朝時代の戦乱を通じて、常に地方の「郷民」がその背後に存することを、私は注意したい、大和天河郷・十津川郷・川上郷の郷民が賀名生(あのう)皇居を警衛した事実、紀伊花園郷の郷民が阿瀬河城の行在(あんざい)に馳参じた事実等を想起すれば、おのずからこのことが諒解せられるであろう。この郷民は南北朝時代のころから新しい自治組織をもって発展してきたもので、単に地方郷内における個々の住民ではなく、「郷民」が一箇の有機的団結をなし、「郷民蜂起」などと呼ばれるように郷全体が一丸となって、郷民の共同利益とそれを冒すものに対して積極的な行動を示したものに他ならぬ。彼ら郷民は各自の郷土が戦禍を蒙ることを極度に怖れ、多くは在地において自存自衛の道を講じたのである」(『内乱のなかの貴族』)
「南北朝半世紀の歴史の進歩は、社会の全面に、たとえ悪党といわれ下剋上といわれようとも、郷村をよりどころとして立ち上がる民衆の、根強いうごきを記録していたからである。それは守護領国支配の進展に対して、郷村平和を守る郷民たちの、生命をかけた抵抗に他ならなかった」(同)
日本的マルチチュード(雑民)としての「悪党」の反制度性と天皇制への回収
「蜂起」と「一揆」……後の山城「国一揆」などの共和制的アソシエーション(下剋上の民衆的形態としての)と共同体。  cf「.一向一揆」と雑賀鉄砲衆の連合VS.織田信長
参照:石母田正『中世的世界の形成』(「黒田悪党」、岩波文庫)
   網野善彦『異形の王権』(平凡社)
       『日本中世の非農業民と天皇』(岩波書店)

★南朝(吉野朝)は何故、延命できたのか
角川源義『語り物文芸の発生』
「吉野朝の政権が、とにかく長きにわたって保持できた原因の一つに、吉野山の修験者はもちろんのこと、熊野修験者の協力があったことを挙げねばならぬ。しかし、最も大きな原因は熊野水軍(その背後に伊勢・熊野の通商・造船を司る北畠氏の勢力)の全面的な協力が経済的なバックアップをなしていることを考えねば、その謎を解くことができない」
『太平記』は尊皇派の修験者の尊皇精神をもとにして成立
「小島法師は特定な個人の名というよりも、備前児島の新熊野権現によっていた山伏の一人と考えられる」
語り物を語っていた盲目法師と、児島の新熊野権現を拠りどころとする修験者との交流
『太平記』の成立/山伏と時衆(宗)……熊野信仰と時衆(宗)教団の深い関係
山伏と遊行僧は、霊山聖地をめぐりつつ日本のくまぐまを廻国している点で共通
時衆の念仏聖が従軍僧のように戦さの場にあった例、念仏聖の悲劇の伝承があまたの挿話とともに『太平記』を成立させているのは、この伝承の管理者に時衆教団があったから。

因みに足利尊氏によって天竜寺が造営され、後醍醐天皇の7周忌に当たってその供養も行われた際に(尊氏の天皇に対する報恩謝徳を表す)、開山の夢窓国師疎石が上皇・天皇の臨幸を仰いだ事に山門(延暦寺)側が反発。この頃から著しい進出を示した禅宗、念仏宗の盛運に対して北朝系の公家・洞院公賢(というんきんかた)は、「禅念両宗、洛中に充満し、異類異形、路頭を徘徊す」と『園太暦』に反感を記している。(林屋辰三郎『内乱のなかの貴族』)

南朝側のネットワーク:交通・流通・狩猟などに携わる「散所の民」(非定住・非農業民)
散所法師……時衆の徒と庭を掘り起こしたり、芸能に携わることでも共通
亡き人をとぶらって漂白するという芸能のスタイル

散所の起源:古代律令制国家の崩壊過程、「賤民制」の解体とそれにともなう新しい荘園領主に対する隷属の基本形態が、「散所」の発生と密接にかかわる。賤民の身分的差別を職業的差別のみならず、地域的差別に転化させることにもなった。「その意味で散所の発生は、部落という特殊地域を、はじめて地域的に表現したものとして、部落史の序章ともいうべき位置を占めている」(林屋辰三郎『古代国家の解体』)……アジール論の陥穽

摂津・河内・泉の「交通路線」を支配した楠氏の「悪党」性は、換言すれば「散所長者的性格」(林屋)で、それが戦功にもかかわらず公家に重視されなかった真の理由。ただし、南朝の大きな地盤が「散所的所領の商業的発展」にあったことは否定できない。荘園に足がかりを失った公家勢力が、新しい商業的活動、交通形態と結びつく。
鎌倉いらいの貨幣経済の浸透:新興階級としての商工業者と荘園経済に支えられた貴族

武家方でも足利義満の後見・細川頼之(管領)が、幕府の基礎を固めるために、土倉・酒屋から銭を徴収、土倉という高利貸資本を支柱として行く基本形態を定めた。南北朝の合一なった翌年(一三九三年)の酒屋土倉に関するこの施策は、公家勢力の基礎となっていた「座」の商業的発展と深く結びあった高利貸業者を現実的に把握するものであり、「公家の経済的地盤を、実質的に無力ならしめたことを物語る」(林屋、『内乱のなかの貴族』)
なお、義満は一方で吉野を根拠地とする南朝の逃走経路(熊野―伊勢)を寸断するめに、熊野にも懐柔の手を伸ばし、熊野水軍の掌握を図っている。「両朝合一直前に、義満の手で奉納された熊野速玉大社の古神宝類はその事情を如実に表している」(今谷明「後南朝―室町幕府の政治と後醍醐流の抵抗」、『歴史読本』第52巻8号)

(当日会場で配布したレジュメに加筆しました)

第四回 長池講義 開催情報
 会   場長池公園自然館 東京都八王子市(長池公園自然館は会場を提供しているだけなので、講演の内容などについて問い合わせをしても答えられません。ルートの確認なども含め、問い合わせしないようにお願いします。)
長池公園自然館(ネイチャーセンター)への行き方>>
 日   時2009年3月28日土曜日 13:00〜17:00
 講   師柄谷行人、苅部直、高澤秀次、いとうせいこう
 テ ー マ国家論
 定   員45名
 入 場 料無料
 お申し込み2週間前になりましたので、申し込みをしめきりました。(3月15日)  抽選の結果はメールにて通知させていただきました。(3月21日)

※抽選で選ばれ参加することになってから都合が悪くなった方は、参加できない旨、必ず事前にメールでご通知ください。

第三回長池講義 高澤講義レジュメ
2008/11/1
高澤秀次

「歌・物語をめぐる「交通」と「信仰」―東国・東北文学の発生」

(I)歌謡の起源としての歌垣――『万葉集』東歌・防人歌と古代人の交通
佐佐木幸綱『東歌』
5世紀の段階から東国は大和朝廷に服従(最も管理しやすい地盤)
防人を、わざわざ東国で徴発……「東歌」と「防人歌」は地続き
東歌……王朝の「みやび」とは無縁な辺境・東国文化の象徴
7世紀後半以降、東国には、中国、朝鮮からの渡来人が相当数居住
畿内の過剰人口とフロンティアとしての東国・関東(司馬遼太郎)
高麗錦……東国各地に送り込まれた彼らが、本国から持って来た錦、あるいは彼らがその技術をもってして名産の錦を日本で織ったりしたのか。
から衣……東国で歌の素材となり、歌語として都へ波紋を広げる
高麗人たちは、日本風の服を着ることを拒否し、高麗風の「から衣」で通した。
高麗笛……「高麗神社の祭の笛」(坂口安吾)……「高麗」は高麗ではなく高句麗
『続日本紀』に「駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野七国の高麗人千七百九十九人を武蔵国に遷し、始めて高麗郡を置く」とある。七カ国と武蔵国は「東歌」の中心部

「東歌」の民謡性と非民謡性(歌の中央集権化に対する「抵抗」の姿勢)
「防人歌」と家族の歌の多産……体制の壁と家族という砦(cf.秩序を構成する家)
「公」と「私」
歌垣という場……歌の実用性。広く流布してゆく歌と民謡の胎動
原型的な「われ」……あらゆるものを相対化しうる「われ」。共有しうる「われ」
個別的に個の内へ内へとこもってゆく「われ」は共有不可能。能動的、攻撃的に、外へ出てゆく「われ」でなければならない。
民謡的だが民謡そのものではない、特定の恋人へ向けた歌の工夫……歌垣での歌の呼吸を踏まえ、特定の相手に向けて実効性を持つ歌(集団的掛け合いから個の呼びかけへ)

歌垣の起源……農耕予祝儀礼である「国見」と起源を同じくする民間行事(土橋寛)
「生殖」と「生産」との重ね合わせ
「山行き」「山遊び」「花見」などの「春山入り」の行事がその初源
(1)花見ないし国見(2)青葉摘み、草刈り、柴刈り(3)共同飲食(4)歌舞(5)性的解放(6)通婚圏の拡大要請
個的な歌、新作、アドリブ表現は、一般性に即した歌の後にくる。歌垣の歌の重層性

(II)折口信夫・柳田國男をケンブリッジ学派の日本版とする丸谷才一説(「折口学的日本文学史の成立」)
ケンブリッジ・リチュアリスト:文学の宗教起源説に立つ古典学派(文化人類学の元祖)
ritual=儀式、祭祀、お祭り……柳田『遠野物語』の地理と伝説の融合はその影響か
J・G・フレーザー(『金枝篇』The Golden Bough折口の抄訳がある)
折口:『日本文学の発生』(「たヾ今、文学の信仰起源説を最、頑なに把つて居るのは、恐らくは私であらう」)……柳田経由のケンブリッジ・リチュアリストの方法
折口は文学を自然科学的な探求の対象とした「自然主義」的文学観に対抗した
ジェイン・ハリソン:『古代の芸術と祭祀』『ギリシアの神々』……プラトンの「芸術は模倣=ミメーシス」説に反対、模倣ではなく祭祀、お祭りで古代人の情緒を再生、再演

(III)柳田國男:「東北文学の研究」文字以前の文学と文字以外の文学を問題化
物語の流布に携わった座頭(「目がないから本などの入り用は絶対になかった」)
「座頭の交通と割拠」/「盲目の力」

故人がわれわれの夢に見えるごとく、また物語の中に現われて泣き嘆いたことは、浄瑠璃のような近世の産物にも、なお多くの名残を留めている。文芸が宗教の領分から全然独立して後も歌謡はとうてい平静たる叙述のみをもって、喚び戻された古人の生活を客観することを得なかった。情の高潮に達した際には、主人公は必ず歌を詠むことになっている。これを聞く者の感動は必ずしもその詞の巧拙によらず、むしろそのみずから語るの声によって、現前に相対するの思いを抱くからであった。イタコまたはモリコと称する東北の巫女たちは、教えられずして早くよりこの法則あることを知っていた。ゆえに一方には祈祷の辞、もしくは遠ざからんとする霊魂を招く詞を唱えつつ、他の一方には一見これとは関係なき歌物語をもって、神を人界に悠遊せしめ、もしくは人をして神の国を愛せしむるの手段に供しているのである。
これに比べるとボサマすなわち座頭の方は、同じ盲目でも早くから信仰を離れて、物語に専らなる者が多くなったが、それでもみずから一人称を用いて、私が見たこう言ったと、語っていた時代は永かったのであろう。
cf. 『妹の力』(「玉依姫考」)……魂の憑る姫、身に神霊を宿す女=巫女

弁慶が家老挌に引き上げられ、『勧進帳』の主人公にまでなったのは、まったく『義経記』以後の変化であった。
語り始めた時の動機がいろいろだから、物語の中心がつぎつぎに移ったので、『義経記』なども義経を主人公にしたのはかえって前半の方に限られ、吉野山では佐藤忠信、鎌倉では静御前、北国落ちでは武蔵坊……というように、シテ役は一貫してはいなかった。
各部分の作者産地はそれぞれに別であった……「いくつかの物語のかたまり」
奥州系かと考える『義経記』の特色は、ことに「北国下り」以下によく現れている。
その第一は地理の精確といういこと。第二の特色は山伏の詳しいこと。
弁慶は熊野に生まれたというのみで、もと法師であって修験道には携わらなかった。
山伏もしくはこれに接近した者が、筋を運びこの物語を語る必然。奥州辺土の生活に修験道の交渉が多く、誰しも若干の興味を寄せていた時代相を、暗示するもの。
「熊野と羽黒との交通」……伝道の痕跡と『義経記』。その後篇は正しく熊野および熊野人のための宣伝であった。熊野の神人の家系・鈴木氏の東北、奥州平泉における地位

(IV)角川源義:『悲劇文学の発生』『語り物文芸の発生』
悲劇の「説話」(ものがたり)の管理者(語り部)/運搬者(海部の民)
その管理者は勝者ではなく歴史的な敗者……敗者が自身のそして祖先の悲劇を語る
それを聞く者の「笑い」の効用……「笑いの文学」と「悲劇の文学」は踵を接していた。
『義経記』:源義経と、熊野別当の子という形で、熊野側の代弁者となっている弁慶、二人の流離譚。義経よりもワキ役、弁慶の方が余計に活躍する。『平家物語』では、これという為事(しごと)をしていない弁慶が、『義経記』になると俄然活躍するのは、この『義経記』を管理していたものが、熊野信仰を支持した、これら語りの徒であったことがわかる。偽山伏に身をやつして関所を通過。様々な難題を解決しつつ平泉に到着(「北国落」)
熊野の語部による管理:熊野の語りの徒が、信仰の多い東国・奥州の地に出かけて行っては彼らの管理する語り物を語っていた。『義経記』が東北文学として栄え、『曾我物語』が箱根・伊豆山を中心として、関東で固定した深い理由。


第三回長池講義 山下講義レジュメ
2008/11/1
山下範久

「ポランニー的不安とメタ普遍主義」

1. ポランニー的不安

・「大転換」の条件

「労働、土地、貨幣は産業の基本的な要因である。これらの要因もまた市場に組み込まれなければならない。…ところが、労働、土地、貨幣が本来商品でないことは明白である。…第一に、労働は、生活それ自体に伴う人間活動の別名であり、その性質上、販売のために生産されるものではなく、まったく別の理由かのために作りだされるものである。…つぎに土地は自然の別名でしかなく、人間によって生産されるものではない。最後に現実の貨幣は購買力を示す代用物にすぎない。原則としてそれは生産されるものではなく、金融または国家財政のメカニズムを通して出てくるものなのである。…労働、土地、貨幣はいずれも販売のために生産されるのではなく、これらを商品視するのはまったく擬制なのである。」(『経済の文明史』ちくま学芸文庫版pp.38-9)

→三つの大転換体制(ファシズム、コミュニズム、ニューディール)
 ※それは本当に「大転換」だったのか?

・「大転換がおこらないかもしれない」という不安

「[この労働、土地、貨幣を商品化する自己調整市場のシステムにおいては]人間は、悪徳、倒錯、犯罪、飢餓などの形で、激しい社会的混乱の犠牲となって死滅するであろう。自然は個々の要素に還元されて、近隣や景観はダメにされ、河川は汚染され、軍事的安全は脅かされ、食糧、原料を生み出す力は破壊されるだろう。最終的には、購買力の市場管理が企業を周期的に倒産させることになるだろう。というのは、企業にとって貨幣の払底と過剰が、原始社会にとっての洪水と旱魃と同じくらいの災難になるであろうからである。」(『経済の文明史』ちくま学芸文庫版p.40)

「文化的制度という保護の覆いを奪われれば、人間は社会に生身をさらす結果になり、滅びてしまうだろう。」(『経済の文明史』ちくま学芸文庫版p.40、強調山下)

→〈世界〉を定義する要素が、実は固定的な定義をもたないことを直視してしまうことから発する不安

⇒普遍性の複数性に直面する不安

2. 近世帝国の教訓

・近世=帝国の時代
 →ヨーロッパの例外ではない
  ∵帝国は〈世界〉を提示する理念によって定義されるから

・〈世界〉を提示する理念は、positiveな普遍性主張ではない
 →むしろpositiveな普遍性主張の複数性を管理する位置にある


3. ポジティヴな普遍主義とネガティヴな普遍主義

・ポランニー的不安の封じ込め→ポジティヴな普遍主義

 →単一の普遍主義の押し付けに陥る

 e.g. フクヤマ:「歴史の終わり」からコミュニタリアン的転回を経て「人間の終わり」へ

・ポランニー的不安の徹底化→ネガティヴな普遍主義

 →あらゆる形態の普遍主義の押し付けの拒否
 →論理的には可能だが…

 e.g. ジジェク:「リスク社会」から〈他者の他者〉理論を経てイデオロギー批判へ

4. メタ普遍主義

 ・ラスカサスの教訓

  (弧世般酥擇寮引きを行う絶対的な視点はない
   →普遍性は複数的
  同意のない規範に従う義務はない
   →超越性は無効
  K塾呂寮掬化には比較考量が必要である
   →暴力は理念によっては正当化されえない
  い△蕕罎訛減澆論在的に文明化の可能性をもつと推定されなければならない
   →他者を個別性に囲い込んではならない(相対主義の逃避の否定)

 ・われわれのポランニー的不安を特権化することの暴力

 ・ポランニー的不安が人類史的常態であることと普遍性の存在を肯定することとは矛盾
しない

 ・ホッブズ的自然状態(規範そのものがない状態)から単一の普遍的秩序を立ち上げる
という理路(「国内類推」)の拒否
  →規範の内容の明示的な定義については、潜在的につねに複数の主張が相争っている
が、その前提には規範の存在そのものに対する推定が働いている

 ・重要な区別は、普遍性の存在自体を肯定することと、特定の明示的な内容をもつ普遍
性を押し付けることとの区別

 ・自己と世界とを直接対峙させる短絡(世界の終わりに直面しているという特権的歴史
意識)からの切断

 ⇒〈帝国〉を歴史の清算の場にしないこと


以上

■ 本報告は、11月28日発売予定の拙著『現代帝国論:人類史の中のグローバリゼーション』(NHKブックス)で論じた内容をもとにしています。




第三回 長池講義 開催情報
 会   場長池公園自然館 東京都八王子市(長池公園自然館は会場を提供しているだけなので、講演の内容などについて問い合わせをしても答えられません。ルートの確認なども含め、問い合わせしないようにお願いします。)
長池公園自然館(ネイチャーセンター)への行き方>>
 日   時2008年11月1日土曜日 13:00〜17:00
 講   師柄谷行人、いとうせいこう、高澤秀次、山下範久
 テ ー マ国家論
 定   員45名
 入 場 料無料
 お申し込み定員に達しましたので、申し込みをしめきりました。(2008年10月25日)

※なお、受付確認のメールは返信いたしません。今回申し込みが多いため、すでに申し込まれた方も含め、参加される方を抽選で選ぶことにいたします。抽選の結果は10月25日頃までにメールで通知させていただきます。
また、抽選で選ばれ参加することになってから都合が悪くなった方は、参加できない旨、必ず事前にメールでご通知ください。

第二回 長池講義 講義録
2008/6/21
柄谷行人

「互酬の力」

 一般に、先史時代に関しては、狩猟採集、漁労、農耕、牧畜、あるいは、石器・青銅器・鉄器といった発展段階から語られる。これは、歴史を、人間と自然の関係という観点から見るものである。これはまちがいではない。事実、人間と人間の関係は、人間と自然の関係を基礎にしているからだ。だが、人間と自然の関係は、人間と人間の関係を通してしか、つまり、一定の社会的な関係を通してしかありえない。前者が後者を規定するだけでなく、後者も前者を規定するのである。

 未開社会における「人間と人間の関係」のあり方は、人間と自然の関係、あるいは生産力という観点からは説明できない。生産力が低いから、こうした社会が形成されるのではない。その逆である。このような「人間と人間の関係」のあり方が、生産力を高める動機を与えないのだ。ゆえに、われわれは「人間と自然の関係」に先立って、「人間と人間の関係」を考察しなければならない。

 その場合、二つの視点が可能である。一つは、マルクスがそうしたように、「生産様式」からみることである。それは、具体的には、誰が生産手段を所有するかという観点である。また、生産手段とは、事実上、土地のことである。そこで、マルクスは、原始社会の特性を共同体所有に見いだし、そこから、私的所有、階級差と対立、さらに、国家の形成という道筋を想定したのである。一方、モースは、原始社会の特性を互酬交換に見いだした。つまり、彼は互酬を、外婚制や首長制、さらに供犠など、社会的・政治的・宗教的とされる次元すべてにおいて貫徹される原理として見いだしたのである。

 一見すると、この二つは対立するか、または、まったく結びつかないようにみえる。しかし、実は深い所でつながっている。私がいう「交換様式」の視点は、この二つを結びつけるものである。

 共同体的所有というと、個人の所有がまったくないかのように誤解される。しかし、たとえば、武器や道具は個人の所有物である。共同体所有となるのは、特に、生産手段としての土地(テリトリー)である。その場合でも、諸個人や所帯は使用権において、そして、それによって生じる財において差がある。しかし、それは階級的な格差にも、国家の形成にもいたらなかった。

 実際、未開社会は、狩猟採集のみの社会から、狩猟採集のほかに漁業、あるいは簡単な農耕・牧畜を行う社会にいたるまで多様である。また、政治的な形態では、単純なバンド社会から、首長制・王制の社会に及んでいる。商品交換や富の不平等、さらに奴隷が存在するところもある。にもかかわらず、それらは国家になることはなく、階級社会になることもない。なぜか。マルクスなら、「共同体的所有」が存在するからだ、と答えるだろう。一方、モースは互酬原理があるからだと答えるだろう。つまり、互酬性が富や権力の集中を妨げるからだ、と。

 しかし、実際は、これらは同じことを意味しており、且つ、相補的である。共同体所有がどのように作用するのかを見るためには、互酬交換を見なければならないし、互酬原理がなぜ作用するかを見るためには、共同体所有を見なければならないのである。

 モースは、互酬がいかにして成立するのか、つまり、なぜ贈与が、贈与された側に返礼を強要するのかを考えようとした。彼はその謎を解く鍵を、未開人(マオリ族)がハウと呼ぶ呪力に求めた。もし返礼しないならば、贈与物に付随するハウが、災禍をもたらす、と彼らは考えている。別の見方でいえば、その物らが元いた所に戻りたがっている、と。だが、このような見方は、モースがもたらした互酬の理論を受け入れた人々の間でも、批判の的となってきた。たとえば、レヴィ=ストロースは、モースの考えは未開人の思考に従うだけで終っている、と批判した。

 しかし、未開人の見方に反して互酬を科学的に説明しようとすると、近代の心理学的見方になってしまいがちである。それは、互酬を、商品交換と類似したものと見ることになる。たとえば、贈与された物がもつハウは、贈与された者がもつ心理的な債務感から説明される。その場合、負債は、贈与された物の経済的価値と似たものになる。だが、これでは商品交換と互酬の違いがわからない。

 モースによれば、互酬を支えるものとして、贈与する義務、受け取る義務、返礼する義務、という三つの義務がある。心理的な債務感という見方では、贈与する義務や受け取る義務を説明できない。一方、気前よく贈与するのは、それが社会的な威信を与えるからだ、という説明がある。だが、「贈与する義務」をそのような理由によって説明することはできない。贈与の義務がある社会では、気前よく贈与することは威信を高めるし、そうしないなら不名誉で威信を落とすことになる。つまり、贈与の義務だけが特にそうなのではない。何であれ、共同体の義務を果たすことは名誉であり、そうしないことは、不名誉である。

 いずれにしても、互酬を強いる力を、近代的な見方で説明することはできない。その意味で、われわれはモースが物に宿る力(ハウ)にこだわったことを重視しなければならない。モーリス・ゴドリエは、ハウの力を、物に対する所有権と使用権から考えた。贈与において、使用権は譲られるが、所有権は譲られない。だから、贈与物のハウが元に戻りたがるということは、贈与されたものが依然として贈与者の所有物であるということを意味するにすぎない。物の所有権が譲渡不可能だというのは、それが共同体的所有だからである。

 しかし、モース自身が、以上のことをわかっていたはずである。彼は「マナ」について論じた初期の呪術論から、呪力が社会的なものであることを強調していたからだ。また、モースに先立って、その叔父デュルケムが、所有権が社会的なものであること、そして、未開社会では、それは宗教的な形態をとってあらわれることを強調していた。デュルケムは所有権の根底に宗教的なタブーを見いだした。タブーとは、ある物を聖なるものとして、神事の領域に属するものとして斥けることである。神聖化されないかぎり、所有は成立しない。そして、神聖なるものは、事物そのものに宿る(『社会学講義』)。

 所有権が人間ではなく物に宿るということは、所有が「共同体的所有」として始まることを意味している。人々は、物が共同体の所有であることを直接に意識することはない。それを、物に精霊が宿っていると意識するのである。ゆえに、贈与された物には、共同体の所有権が精霊として付随するわけである。

 このように共同体的所有という点から見れば、贈与の義務や受け取る義務を合理的に説明することができる。第一に、贈与の義務とは、個人や所帯は、たとえ個人的に使用していても、それが本来共同体に属するものであるからには、共同体のために放出しなければならない、ということである。では、共同体の目的とは何か。狩猟採集の段階ではたえず狩猟範囲をめぐる衝突が生じるため、共同体は他の共同体との間に友好的な関係を築かなければならなかった。そして、贈与はそのために不可欠な手段であった。

 共同体の成員は、共同体の存続のために、個々人の所有を放棄しなければならない。この問題は、外婚制とインセストの禁止の問題から考えてみても明らかである。外婚制は、共同体と共同体の紐帯を作りだすために必要である。インセストが禁止されるのはそのためだ。さらに、同じ理由から、略奪婚が説明できる。レヴィ=ストロースはいう。《略奪婚は、互酬性の法則に矛盾しない。むしろ、互酬性を実行にうつすための可能な合理的方法の一つである。花嫁の誘拐は娘たちを擁する一切の集団が負っている彼女たちを譲渡する義務を劇的に表現している》(『親族の基本構造』)。すなわち、略奪婚が許されるのは、娘を略奪される側が、もともと娘を「贈与する義務」をもっているからだ。

 「贈与を受け取る義務」についていえば、贈与を受け取らないのは、他の共同体を斥けることである。それはたんに人間を斥けるだけでなく、物に宿る神あるいは呪力を斥けることになる。贈与を受け取らないのは、贈与を受け取ってお返しをしないのと同じことだ。この場合、お互いが贈与の効果を信じているのでなければ、贈与の効果はない。しかし、贈与を受け取ることを拒むことで災禍が生じると考えるのは、必ずしも迷信とはいえない。受け取りを拒んだ後に、共同体間の戦争が待ち受けているからだ。

 贈与の互酬を通して、さらに、娘の贈与による親族関係を通して、氏族はより大きな共同体(部族や部族連合体)を形成するようになる。この意味で、贈与の互酬は、共同体が他の共同体との間に、和平と交易の関係を作りだす原理なのである。だが、それによって、他の共同体への忌避や敵対性が一掃されるものではない。それは、たとえ上位の共同体が形成されても、下位の共同体の独立性が消えないということを意味する。このため、他の共同体との関係において、贈与は友好的関係を築くものであると同時に、しばしば競争的なものとなる。つまり、ポトラッチのように、相手を返済できないほどの過度の贈与によって圧伏させるものとなる。もちろん、これは相手を支配するためになされるのではない。共同体の独立性(威信)を守るためになされる。

 この意味で、血讐も互酬的reciprocalであると考えられる。たとえば、共同体の成員が他の共同体の成員によって殺された場合、報復reciprocationがなされる。報復の「義務」は贈与・返礼の「義務」と似たようなものだ。共同体の成員が殺された場合、それは共同体所有の喪失であるから、加害者の共同体に同じ喪失をこうむらせることでしか償われない。血讐にはそれに対する報復がなされ、それがとめどなく続くことになる。ポトラッチにおける贈与の応酬がどちらの共同体も壊滅させてしまうことがあるが、血讐も同様である。それが禁じられるのは、犯罪を裁く上位組織(国家)が成立するときである。逆にいうと、このことは、血讐の存在が国家の形成を妨げることを示している。血讐は上位組織に対する各共同体の独立性を回復するからである。

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