長池講義開催の経緯
 2007年11月10日土曜日、八王子市別所の長池公園内にある長池自然館で、柄谷行人氏の公開講座(無料)が開講されるに至った経緯を、当日のゲストの一人いとうせいこう氏が冒頭で語った内容を収録する(補足部分を含め文責・高澤秀次)。

 2007年春、柄谷氏が兵庫県から八王子市に転居されたのを機に、新宮市の熊野大学(1990年に中上健次が設立)の夏期セミナー常連講師陣が新居に集まった。その席で、中上の17回忌に当たる08年のセミナー参加を最後にしたいと表明された柄谷氏に、熊野大学とは別に、東京で公開講座を開けないかとの提案があった。柄谷氏は居合わせたメンバーを自宅近くの長池公園内の自然館に案内、折を見てここで何かをやろうと即決した。
 当地は浄瑠璃姫伝説ゆかりの地、浄瑠璃姫が身を投げた池がこの長池とされる。
 日本の古典芸能にとって一番大事なヒロインであり、浄瑠璃の起源に結びついたその姫にまつわる伝承……昔、子どもの出来ない夫婦(矢作の長者兼高夫婦)があった。薬師信仰と結びついた瑠璃光如来(薬師如来)に祈り、やがて素晴らしく美しい娘(浄瑠璃姫)を授かる。成長した姫は牛若丸(義経)と恋に落ちる。義経は奥羽へ……再会を約束して果たせない浄瑠璃姫は身を投げて死ぬ。その悲恋を中世の琵琶法師などが歌った。それが浄瑠璃(節)となり、これに操り人形がついて人形浄瑠璃に。物語は三河から江戸に来たって清元、常磐津、新内などに形を変える。中世の語り物文芸の奥底に浄瑠璃姫がいる。ただし、ここ八王子別所の浄瑠璃姫伝説は16世紀のもの。三河の豪族・岡崎四郎が薬師如来像を城に持ち帰り、授かったのが浄瑠璃姫。この姫が武蔵国の小山田太郎高家の側室になる。姫は父から薬師如来像を譲り受け持参。高家は新田義貞の鎌倉攻めに従い戦死。浄瑠璃姫は主人の後を追い、薬師如来像を背負って十三人の侍女とともにこの長池に身を投げたという伝承。
 なお、柄谷行人の旧居近くには、近松門左衛門終焉の地の伝承があり、浄瑠璃姫伝説のあるこの場所で公開講座を開講することに因縁を覚えたと言う。