第八回 長池講義 丸川講義レジュメ
2011/3/12
丸川哲史 


中国において「左翼」とは何か?



〈導入〉

「世界史のなかの中国」という問題(「歴史の終わり論」への返答?)
 cf  ヘーゲル『歴史哲学講義』における「理性」と「発展」、そして中国の位置



〈中国における「左翼」成立の三つのモメント〉

機◆峭駝鰻狙」と「党」(辛亥革命から国民革命まで)

  1.  国民の不在と革命の進行
    cf  『阿Q正伝』(1921年) 国民なき革命
  2. 国民国家形成における「党」の定義
    cf  孫文「国民党規約修正の演説」(1920年) 国家=法治/党=人治


供中国革命の分裂(国民革命の中の1927年クーデター )

  1. 知識人が「革命」にかかわる困難(1926年3.18事件〜1931年柔石事件)
    cf  魯迅「『阿Q正伝』のなりたち」、「死地」(1926年)、「深夜に記す」(1936年)
  2. 毛沢東の「底辺世界」の発見 (労農路線の中国的解釈→国民革命の共産革命への転化)
    cf  毛沢東「中国社会各層の分析」(1926年)、「農村階級を如何に分析するか」(1933年)


掘中共路線の確定(クーデター以降の時代)

  1. 整頓活動(1927年〜1935年)
    cf  毛沢東「党内のあやまった思想について」(1927年)
    「軍事一点ばり」→整頓(教育)と宣伝の重視、国民党との差異化、知識人の必要
  2. 整風運動(1941年〜)
    cf  毛沢東「知識人を大量に吸収せよ」(1939年)→「文芸講話」(1942年→57年反右派)
    知識人への「思想改造」の要請、「文芸講話」のその後の影響



〈人民共和国成立後への影響〉

機▲熟△らの離脱と革命政治の突出

  1. 朝鮮戦争のインパクト、ソ連圏からの離脱
    cf  毛沢東「十大関係論」(1956年)、「廬山における講話」(1959年)
  2. (百家斉放)反右派闘争〜核実験の成功〜文革発動、
    cf  毛沢東「知識人の改造を論ず」(1957年)〜「5・7指示」(1966年)
  3. 文革の対立点(毛沢東VS劉少奇、高級幹部子弟VS非高級幹部子弟)
    cf  造反派「中国はどこへ行くのか?」という問いの生成(1966〜68年)


供◆峅革開放」と冷戦「崩壊」

  1. 78〜79年文革の終わり、及び「改革開放」始動の意味
    cf サミール・アミン、A・ルッソ「改革開放」=「世界的な革命政治の終わり」
    ⇔温鉄軍「第三世界において中国だけが『改革開放』を宣言し、実行した」
  2. 89年〜91年 天安門事件〜ソ連圏崩壊〜湾岸戦争
    cf  F・フクヤマ『歴史の終わり』論→劉暁波の「民主」論
  3. 92年小平南巡講話「門戸開放宣言」から 97年東アジア金融危機へ
    cf 「先富論」解釈、新左派VS自由主義  04年「北京コンセンサス」J・C・ラモ



結論に代えて


中国は今「発展」によって「世界史」に参入して来ている。ヘーゲルの『歴史哲学講義』の立場からして、アイロニーである。この構造は、中国革命がフランス革命的なるものをより規模を大きくして反復し、また宗主国ソ連から独力で独立を果たし、そのソ連が崩壊したことなどとも関連する。柄谷氏『世界史の構造』は交換形態から「世界史」を叙述し直すという画期的内容を含んでいるが、それは「世界史」に参入して来た現代中国との本格的な「対話」の開始を私たちに暗示させる。以下、議論のための論点。

  1. 中国の社会的土壌…小農経済、帝国的統治(清朝からの遺産)、官僚制etc
  2. 中国革命とは何であったか…「主権確立」、「経済建設、「社会的平等」の調和と矛盾
  3. 中国現代史における知識人の転化…知識人の「党(幹部)」「大衆」「国家」との関係。



i 蒋介石による反共クーデター(1927年4月)は、国民革命のプロセスに大きな屈折を与える。このクーデターの前、都市部を中心にして革命機運が激しく醸成されていた(五・三〇運動)。クーデターの後、国共分裂を経て汪精衛により南京政府に統合される。この時、左派(共産党)によって指導された国民革命軍は、南昌への武装蜂起に打って出るも失敗する。これらの背景として、27年という年は、ソ連内部においてスターリン派とトロツキー派の対立が最高潮に達していたことが指摘できる。蒋介石クーデターも南昌蜂起も、この対立に反映されているものとの解釈がある。スターリン派が中国問題において「日和見」であるよう見えないようにするため、過激な方針を下ろした施策であったとされる。



※ この他詳細なメモが配布されました。


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